今まで感覚の話をしてきましたが、思考や感情も同じです。
識閾下では思考や感情も単なる情報に過ぎず、
それが自分のものかどうかという区別も、まだありません。
自我は、これらに自分という名札をつけて拾い上げます。
したがって、思考を自分のものだと感じているのは
単なる自己同化に過ぎず、本当は思考に自分という
名札がくっついてくるだけなのです。
識閾下にはもっとたくさんの、いろんな情報が流れています。
たとえば例をあげると、人の受け売りの考え方をあたかも
自分の考えたことのように話すということがあります。
本当はインプットされた情報を反芻して再利用してるだけで、
自分のものかどうかは関係ないのですが、
自我が自分という名札をつけてしまうので、
自分自身の考えであるかのように錯覚してしまうのです。
本当は思考に所有者はいません。